視覚と姿勢制御
基本的に開眼状態よりも閉眼状態の方が姿勢動揺量が大きくなります。
このことから視覚情報はバランスを保持する上で非常に重要な役割を果たしています。
しかし、視覚情報を基にしてバランスを保持するには数百ミリ秒という比較的長い時間が必要です。
数百ミリという時間では滑って転倒しそうになった際に、バランスを保持するには時間がかかりすぎるため視覚情報はあまり意味がありません。
視覚情報はとっさにバランスを崩した際に対応するには向いていませんが、立位姿勢を長く保っている状態を場面で姿勢の微調整に寄与していると言われています。
両目と片目の見え方
片眼をつぶると姿勢動揺はどうなるのでしょうか?
通常眼から入る情報は二次元の情報です。しかし、同一の対象物を両眼で見ることで両眼視差という情報が入ります。
両眼視差とは、人は左右の眼は約6㎝離れており、左右の眼で同じ対象物を見たときに、わずかに見え方が左右で異なります。
この見え方の差を両眼視差といい、両眼視差で周辺環境を三次元で捉えることが出来ます。
片眼で見ているときは、三次元で捉えることが出来ないため視覚情報を使って、周辺環境との距離を知覚することが難しくなり、姿勢制御に影響が出ることが予想されます。
しかし、研究によっては片眼・両眼のどちらでも姿勢動揺に差はないという報告もあり、片眼の場合は体性感覚・前庭感覚といった他の感覚への依存度が高くなっている可能性があります。
対象物の距離と姿勢動揺
両眼から入る視覚情報も対象物が近くにある方が遠くにあるよりも姿勢動揺量が小さくなるという報告があります。
対象物が近くにあると両眼は寄り目のように内側に回転します。
この内側への回転を利用することで、対象物との距離関係が知覚しやすくバランス保持に寄与出来ると考えられています。
対象物が遠くにある時は、この眼球の動きは生じずにほぼ平行状態となります。
中心視野と周辺視野
ヒトの視野は上下130°・左右200°程度の範囲といわれています。
しかし、文字が認識出来るのは視野中心から2~3°と言われており、非常に狭くなっています。
(文字が認識出来る視野が2~3°である理由は、高い解像度を有する場所は中心窩に局在しているため)
バランスを保持するために有益な情報は中心視野よりも周辺視野だと言われています。
中心視野+周辺視野と周辺視野のみ、とそれぞれの条件でバランス保持を比較しても大きな違いがなかったとされています。
周辺視野の情報はバランスを崩したときに支持物を掴むためのリーチ動作の制御に貢献しています。
周辺視野の情報は解像度が高くないので、正確性に欠ける印象です。
実際に周辺視野だけではリーチ動作が遅くなると言われていますが、しかしステップ戦略が利用できない状況でバランスを崩したときには、周辺視野の情報であってもリーチ速度が遅くなるへものの、ある程度正確にリーチすることが出来ます。
つまり、不意にバランスを崩した時にバランスを保持するための視覚情報は中心視野よりも周辺視野が上肢リーチ制御に貢献しているということです。
壁の動きに応答する姿勢変化
床は変化せずに壁だけ近づいたり、遠ざかったりした際に立位姿勢をとっている人は身体が自然と前後にわずかに傾くと言われています。
壁を近づけると後ろへ傾き、壁を遠ざけると前へ傾きます。(下図)
壁が近づいた時の身体は後ろへ傾く
これは壁が動くことで視環境に変化が生じ、身体が前後に傾いた状況を連想して自動的に姿勢調整反応を引き出すからとされています。
この壁が動くことによる視環境の変化は、視覚依存が高い1歳児や60歳以上の中高齢者で姿勢動揺が大きくなります。
高齢者の中でも視環境の変化に弱い高齢者で特に転倒の危険が高いと言われています。
また、一度視環境の変化で生じた姿勢動揺は、しばらく時間が経過しても持続するという報告もあります。
足底・足部の体性感覚情報としての役割


外部刺激と姿勢動揺
前庭系
前庭系は三次元空間における頭部の運動を検出します。
視覚・体性感覚と共に運動情報を獲得し、運動や姿勢を主観的に知覚することが可能であり、前庭系が正常に働いている限り、前庭系の活動を意識することはありません。
しかし、前庭系に障害が生じると頭部の動きが注視を不安定化し、姿勢制御が困難になります。
三半規管と耳石器
耳石器:頭部の併進加速度を感知
三半規管・耳石器共に内部はリンパ液で満たされており、内壁表面には有毛細胞があります。
頭部に各加速度又は併進加速度が生じると、有毛細胞が器械的刺激を受けて膜電位に変化が生じ、前庭神経の発火頻度が変化します。
前庭器官からの神経線維は前庭神経核へ直接シナプス結合しています。
前庭神経核からは眼球運動(前庭動眼反射)・脳幹(姿勢平衡安定を制御)・脊髄や小脳に投射しています。
前庭動眼反射
頭部の回転に対して逆方向に同じ振幅で眼球が回転され、視軸が空間に対して安定に保持されています(前庭動眼反射)。(下図)
前庭動眼反射は戦時5~6msという最も速い反射応答で、頭部に対する眼球運動は非常に早くなっています。
前庭動眼反射によって注視した対象物へ随意的に視線を移動させることができます。
しかし、常に前庭動眼反射が生じてしまうと意図した方向と逆方向に眼球が回転してしまい、対象物に視線を向けることが出来なくなります。(左の対象物を注視したいので頭部を左に向けると眼球が右に動いてしまう)
そのため、前庭動眼反射は行動目的に応じてオン・オフが制御されます。
この前庭動眼反射のオン・オフは傍正中橋網様体から抑制性入力が前庭神経核に投射されることでコントロールできます。
この傍正中橋網様体からの抑制性入力は、前庭動眼反射経路で【前庭器官の求心性入力】と【眼球運動の運動指令コピー】を統合し、前庭神経核ニューロンは注視意図に対応して行われます。
前庭脊髄反射
前庭系は身体の姿勢安定に保持するための平衡機能を担っています。
前庭脊髄反射は【前庭神経核】と【脊髄運動ニューロン】からなり頭部・頸部・体幹が運動するとき、身体を協調させて頭部を垂直に維持する必要があります。
電車に乗っている時は予期しない動きに反応して頭部と身体を安定に維持するために有効です。
しかし、頭部を下げるといった随意的な運動では逆効果になることがあり、前庭脊髄反射の抑制が必要です。
前庭神経反射の抑制性入力機構
頭部の自己運動後では、前庭器官から求心性信号が前庭神経核に入力されます。
【前庭器官からの求心性信号】と【小脳内にある頭部運動の運動指令コピー(意図した運動プログラム情報)】の情報が比較され、両者が一致すれば小脳からの前庭神経核に抑制信号が投射され、前庭脊髄反射が抑制されます。
感覚統合
前庭系が外界に対する慣性センサーとして機能するためには、体性感覚・視覚からの情報や運動に関する情報が必要です。
前庭系の感覚統合は前庭神経核で起きています。
前庭神経核には前庭感覚に加えて体性感覚・視覚及び運動関連の遠心性コピーが入力されています。また、小脳や運動に関わる大脳皮質領域からも入力を受けています。
前庭神経核の感覚統合は上位中枢の感覚運動処理に向けた多感覚統合の第一段階であり、予期せぬ外乱に対する立ち直り反射などの速い姿勢応答で重要な働きをすると言われています。
姿勢制御ネットワーク
私たちは日常生活で同じ歩く場面でも、地図を見ながら歩いたり、コップに水を入れて持ち歩くなどの目的や課題によって行う歩行は異なります。※姿勢定位:身体各部の位置を他の部位や環境に適合させること
地図を見ながら歩くときは【地図を持つ手の位置】と【頭部・眼球】の間を出来るだけ一定に維持する必要があります。
水を入れたコップを持ち歩くときはコップを持つ手が出来るだけ揺れないようにする必要があります。
このような【姿勢定位】と【姿勢平衡保持】は多重ループの姿勢制御ネットワークで支えられています。
脳幹ー脊髄系
立位保持は抗重力支持と平衡維持が必要です。
抗重力支持と平衡維持には軟部組織の粘弾性特性だけでは不十分であり、頭部・体幹・下肢の伸展筋群の持続的な活動が必要です。
筋活動も常に同じ活動を続けるのでなく、頭部~足部まで多数の筋骨格系を協調的に活動させることが必要です。
このような頭部~下肢にかけての協調的な筋骨格系の活動は脳幹-脊髄系が主に役割を担っており、脳幹にある前庭神経核が中心となっています。
前庭神経核には感覚フィードバック(視覚・体性感覚・前庭感覚)と運動指令コピー及び小脳からの出力が入力されています。
感覚フィードバック・運動指令コピー・小脳出力の情報が統合され、前庭脊髄路を経由して脊髄の介在ニューロン・運動ニューロンに伝達されます。
また、脳幹網様体においても感覚フィードバックや大脳皮質(運動関連領域)から入力を受け、網様体脊髄路を経由して脊髄の介在ニューロン・運動ニューロンへ出力し、体幹・上下肢の姿勢調節を行っています。
姿勢応答は随意運動より速く筋活動が出現しますが、伸張反射よりは時間がかかります。
これは姿勢応答は脊髄のみを経由した伸張反射よりも高次の処理が必要だということです。
姿勢応答は全身の筋活動を協調的に活動させる必要があり、この協調的な活動は周辺環境や状況・心理などによって姿勢応答内容は適宜変化します。
姿勢応答を評価する際には周辺環境や状況などを考慮し、場合によっては環境などを変えながら姿勢応答を評価する必要性もあります。
大脳皮質ー脳幹・脊髄系
大脳皮質は外乱に対する姿勢応答と外乱に対する準備段階の両方に関与しています。
姿勢応答に伴う筋活動初期は脳幹・脊髄を経由して筋を協調的に活動させますが、後半では大脳皮質を含む脳活動ループが姿勢応答に関与してきます。
立位外乱に対する平衡維持と認知タスクを並行して行わせた場合、外乱直後は平衡維持に必要な姿勢応答のみが引き起こされましたが、その後は認知タスクが中断されます。
外乱直後は脳幹-脊髄ループで姿勢応答を行っていましたが、後半は大脳皮質を経由した脳幹・脊髄で姿勢応答を行ったということになります。
大脳皮質は姿勢応答の後半だけでなく、姿勢応答に先行する準備段階においても活動がみられます。
特に補足運動野・一次運動野・一次感覚野が関係していると推察され、外乱が予測出来るときは大脳皮質が姿勢応答を事前に調節すると考えられています。
小脳ー脳幹・脊髄系
小脳の中で前庭小脳と脊髄小脳が姿勢制御に深く関わります。
小脳は【多様な感覚】や【運動指令コピー】が入力されており、身体の定位や平衡の内部モデルを生成しています。
小脳は感覚フィードバックから得られる【過去の姿勢応答の結果】と【内部モデル】による予測から脳幹ー脊髄ループを調節し、適切な姿勢応答を設定することができます。
そのため、事前に外乱が既知されている場合は事前に適切な姿勢応答の設定が可能ですが、小脳疾患を対象とした場合は、その事前設定ができないため姿勢応答が不安定となります。
しかし、協調的な筋活動の事前設定が出来ないのであり、姿勢応答が出現するまでの時間は健常者と変わらないと報告されています。
大脳基底核ー脳幹・脊髄系
2つの経路で姿勢制御に関与します。
1.大脳基底核ー大脳皮質運動関連領野を経由
このルートは環境・状況などによる姿勢応答の事前調節に関与しています。
運動関連領域として補足運動野・運動前野からは脳幹網様体に豊富に投射されており、この経路を介して脊髄介在ニューロン・運動ニューロンに収束し、体幹・四肢の協調的な姿勢制御に関与します。
2大脳基底核ー脳幹・脊髄へ直接投射する経路
このルートは大脳皮質からの出力と協調して、脳幹・脊髄レベルの活動を調節する役割があります。
姿勢制御ネットワークの相互作用
姿勢制御の時間相は大きく3つに分かれます。
1.事前準備
2.姿勢応答初期
3.姿勢応答後半(随意制御)
姿勢応答の事前準備は大脳皮質―脳幹・脊髄ループが関わります。この事前準備が以下の脳幹ー脊髄系ループに影響を与えます。
外乱などに対する姿勢制御初期は脳幹ー脊髄系ループが主に関わり、大脳皮質・小脳・大脳基底核といった上位中枢の調節を受けます。
また、パーキンソン病患者は環境変化に適応して姿勢制御を行うことが困難であり、【大脳基底核-大脳皮質運動野経路】と【大脳基底核-脳幹網様体経路】からできる姿勢制御ネットワークは、環境条件に適合した姿勢制御を事前準備することが示唆されています。
姿勢応答後半(随意制御)は大脳皮質・小脳で感覚フィードバックから姿勢応答を適切に修正します。
小脳疾患があると感覚フィードバックから姿勢応答の適応が困難であることが多いです。
姿勢応答に【小脳-脳幹・脊髄系ループ】と【大脳皮質-脳幹・脊髄ループ】によるフィードバックループが重要であり、両方の協調的な制御が姿勢応答を構成すると思われます。